2010年1月10日日曜日

100110_謹賀新年

あけましておめでとうございます。
月いちブログと言いながら、しばらく間をおいてしまい、とうとう新年を迎えてしまいました。

2000年から始まった21世紀最初のDECADEが終わり、今年は2010年。
ゼロ年代と呼ぶのはかっこ悪いと松任谷由実はこの世代を「ミレニーズ」と呼ぶと言ってましたが、その答えはしばらく待たなくてはならないかな。。。

個人的には、今年は、建築も含めてすべてに対して、はっきりともの申す態度をとっていくつもりです。
それは頑固なまでに自分自身の意見を言うべき年代になったと感じているからです。
いわゆるアナログからデジタルへと潮目が変わることによって、もの言う世代が消滅してしまった状況が、今のこの日本の状況をつくってしまったと考えているからです。

1960〜1969年の世代が積極的に上下世代と交流し、断絶している本質を伝え継承していくようにしなければ、誤った歴史が繰り返されるよりも最悪な終焉を迎えるところまで来ています。残念ながらバブル世代と重なるこの世代は満たされた状況で過ごしてきた為に、今、重要な立ち位置に居ると気がついている人が少ないのも事実です。いわゆるひきこもりやおたく、鬱病などもこの世代から始まりました。

負の面ばかりがクローズアップされることが多いのですが、強烈な負(影)があるとすれば、それと同等の正(光)も存在するはずで、これからの10年、つまり2010年から2019年はとても重要なDECADEとなると考えています。

話は建築に戻ります。
これからは、ここ数年主流に見えていた所謂「1995年以降の建築」世代を俯瞰しながら、それ以前の「大文字の建築」世代との調整弁の役割を担いながら、本質的な問題解決のできる解法を、僕自身が、僕自身を含めた世代が見つけていかなければなりません。

今年はそんな思いを胸に、具体的な行動を起こしていこうと考えています。


文責:KC -000875

2009年9月10日木曜日

090910_空間の原体験その3

倫理観や道徳観をどこから学んだと言えば漫画からだったと思います。

小学校の頃、よく遊びにいった児童館には古い漫画がたくさんありました。また家の近所の貸し本屋さんにも多くの漫画がありました。当時は今ほど漫画が市民権を得ているわけでなく、漫画ばかり読んでいると怒られた時代です。

絵を描くことが好きだったので自然と漫画を描き始めました。水島新司の「ドカベン」や「一球さん」などは殆ど丸々丸写しで何十巻分かをノートに描き写しましたし、そうこうしているうちに自分でストーリー漫画を描くようになりました。ノートを利用して雑誌風に何本ものストーリー漫画を描いて、一冊完成するたびに同級生に見せたりしていました。

小学校3年生くらいの頃から発刊が始まる手塚治虫全集は今でも全巻(400巻)実家の押入れにあります。手塚漫画が僕に与えた影響はかなりのものでした。とにかく来る日も来る日も手塚漫画をむさぼるように読んだ記憶があります。小学校高学年の時に京都の烏丸で手塚治虫のファン大会があり、友人と出かけて実際の手塚先生にあった時の興奮は今でも忘れることができません。

手塚治虫全集はたしか1990年代の終わりでようやく完結したと思いますが、手塚治虫全集で読んだにもかかわらず他の単行本でも購入し、千冊以上の単行本や書籍が実家に無造作に保管されています。
手塚作品を語らせればかなりのものだと自負していますが、深夜番組のアメトーク的な感じにはしたくない、自分にとって大切な部分でもあり今でもあまり人に語ることはありません。



そんなこともあって小学校から中学校にかけては本気で漫画を描いていました。それがやがて再び絵を描くことになり、ものをつくることになり、映画・映像にまでいって、最後には建築になるのですが、そのターニングポイントなんかについては次回のエントリにします。


文責:KC -000326

2009年8月10日月曜日

090810_空間の原体験その2

子どもの頃の原体験を少し話したいと思います。

時代的には70年代になります。尼崎に住んでいました。

理由あって、幼稚園には1年しか行かなかったのですが、幼稚園の頃の思い出としては、日がな一日、粘土遊びをしていたのを覚えています。今でもはっきりと覚えていますが、バベルの塔のような建物をつくり、その建物まわりに螺旋状のスロープというか滑り台をぐるぐると取付けて、完成したらそのスロープにパチンコ玉大の大きさの玉を粘土で作って転がしていました。

それはその後、工事現場の資材置き場での秘密基地づくりにつながっていきます。小学校の頃は野球がメインの遊びでした。ジャイアンツやタイガースの野球帽をかぶり、近くの公園で野球をしたり、空き家や秘密基地などで遊んだり、原っぱの大木のむろに入ったりしたのが空間の原体験になっている気がします。

公園では他の小学校との縄張り争いもあって子供ながらにも小さな抗争があったりして、子供同士での人間関係は今よりも濃いものがあったと思います。

空き家もたくさんあって今ほど厳しい管理はされていなくてこっそりと忍び込んでは遊んでいました。誰も住んでいない空き家には大人向けの雑誌があったり、幽霊等のうわさ話があったりして、子供心にドキドキする格好の遊び場でした。

今では考えられないのですが、そういった空き家や公園、工事現場のフェンスに有刺鉄線などが使われていて、一度フェンスから落ちて有刺鉄線にひっかかって大けがをした経験があります。今でも左手の小指に大きな傷跡が残っています。

光化学スモッグ注意報なるものがあって、それが発令されると外で遊ぶことができませんでした。小学校の朝礼台に黄色い旗がたなびいていたのを覚えています。

家の近所には田圃に引き込む為の用水路や人工河川があって、いわゆるどぶ川になるちょっと前の頃にあたるのですが、そういった水辺も楽しい遊び場でした。フナやザリガニを捕ったり、田圃近くの水辺にはまだゲンゴロウやミズカマキリなどの水中昆虫がいて、泥だらけになりながら捕まえたものです。秋口になると蛍が飛んだりしていたので今よりも自然が残っていたということでしょうか。

そういった体験をベースに小学校の中学年になる頃から、少しづつ漫画少年になっていくのです。


文責:KC -000118

2009年7月10日金曜日

090710_空間の原体験その1

豊かな原体験はその後の人生に大きな影響を与える。

けれど、私の場合、建築をするにおいて原体験が豊かであったかと言うと全くそうではない。空間に対する原体験の認識は少なく、幼少の頃、まだ2〜3歳の頃に住んでいたアパートの、細くて長くて仄暗い廊下と、最上段から転がり落ちて大泣きした階段の印象がある程度だ。

強烈な印象で残っている空間体験のひとつに、小学生の頃、家の近所の小さな小高い丘の上にあった神社のご神木の祠の暖かくそれでいて少し気味が悪く生命力に溢れた空間がある。

もうひとつ、これも小さな頃の思い出だけれど、母の田舎に海水浴に行っていて、波にさらわれて溺れかけた時、天地がまったくわからなくなったことだった。父に腕をつかまれて助かったという記憶があるが、波打ち際でゴロゴロと転がっていただけに過ぎなかった。

それら原体験のいずれもが、建築空間によるものではなく、その中心に自分がいて、自分を包み込むあるいは取り囲む感覚であることに気がつく。多くの建築家たちが語る建築空間の原体験というものが皆無に等しい。意識して建築を確認したのは大学に入ってから、それも2回生か3回生になってからだった。建築に対する美意識を私に植え付けてくれたのは「その建築」と「ひとりの恩師」だった。


文責:KC -000018

2009年7月1日水曜日

090701_初心にかえて

ここでは建築について、それにまつわることを含めて、思い考えていることを綴っていこうと考えています。ブログというよりはコラムに近い形になると思います。もうひとつのブログ『本日も昼寝なり』がつれづれに日々の筑波建築工房の有り様を語るのに対して、こちらではかなり私自身に偏った【建築】の話になると思います。